ここでお話しするのは白羽の矢(しらはのや)についてです。
段々と古い言葉がすたれてしまうこともありますが、白羽の矢(しらはのや)という言葉を一度でも聞いたことがあると言う人たちは未だ相当の数の筈です。
現代社会において未だ有効的な言葉、白羽の矢(しらはのや)とは、文字通り、真っ白な矢羽のことを言います。
「いけにえ」として神にささげられる人間、つまり人身御供を求める神様が、自分の望む少女の住む家の屋根に、白羽の矢を置いたという説よりはじまったと言われています。
ここでの白羽の矢とは鷹の羽だったと言う説があります。
白羽の矢って多くの人たちがハッピーな事柄に当てはめて使用されているようですが、実際には、説によれば、白羽の矢は犠牲となるものを選ぶ為に利用されたものだったようです。
弓矢の意味
弓矢は武器として利用される実用的なものです。
しかし、同時に占いや呪いの道具として利用されていました。
弓矢は昔の人たちにとって日常生活の身近なものであり、占い、呪いも現代社会以上身近な存在です。
したがってこのように弓矢と占い・呪いが関連づくことになります。
室町時代の能作者、金春禅竹の作である謡曲・賀茂に白羽の矢を立てた祭壇が登場します。
この能の演目によって 「白羽の矢が立つ」という言葉が世間一般に知れ渡ったと言われています。
白い羽が付いた矢が、賀茂川の上流から流れて来ます。
矢が水を汲んでいる少女の水桶のところでとまります。
少女はそれを家まで持ち帰ることになります。
矢を持ち帰った少女はそれからほどなくして男児を出産したと言います。
神様が 子供を求めて、少女を懐胎させたのです。
神様に選ばれたことを 白羽の矢が立つと言い、人たちはそれを犠牲と解釈するのでしょうか。
はたまた選ばれたものとしての光栄を意味するのでしょうか。
ここには既に2つの意味が共存しているかにも見えます。
『平家物語』の第一巻「願立」の中には祈祷の後に八王子大権現の社から鏑矢が飛んでいく音が聞こえたというエピソードがあります。
ここにも神様の意思が矢として現れ影響したと考えることが出来ます。
白いという色は神聖なる意味を表しています。
現代社会における白羽の矢の意味
かつて白羽の矢の意味は犠牲になると言う意味合いが強くありました。
しかし、現代社会の私達が過去を見れば犠牲が悪いものとして捉えることが出来るものの、神様の指示に従う光栄な行為として受け取ることが出来ないではありません。
現代社会において、白羽の矢が、特別に選び出されると言う意味を持ちはじめた理由はここにも見えている筈です。
現代社会において白羽の矢は、特別に選び出されるとか、代表候補に選ばれるという意味において使用され、実際には犠牲になってしまったという意味合いで使用しても間違いではありません。
白羽の矢が立つと言うのが正しい言い方であり、 白羽の矢が当たるは間違った言い方です。